2005年2月16日
山 本 速 報
ISSN
0915-9177
Since 1920
YAMAMOTO CIRCULAR
2460
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ブランペイン周期彗星 P/1819 W1 (Blanpain) =
2003 WY25
今から1年以上前に,ミチェリー(M.
Micheli)は,2003年11月22日にカテリナ・スカイサ−ベイで,次の位置に発見された小惑星2003 WY25が,1819年に出現して見失われているブランペイン彗星と同定できることを指摘した.2003
WY25は,2003年12月に地球に0.025AUまで接近し,14等級まで明るくなったが,完全な恒星状で,その標準等級はH=21.3等と,その直径が約200-mの小型の小惑星であった.我が国でも,秦野の浅見敦夫氏ら(A.
Asami et al., Hadano)から36個の観測が報告されていた.なお,2003 WY25の軌道から直接計算される1819年の近日点通過は,1819年8月29日となる.1957年,リドレイ(H.
B. Ridley)は,この彗星は,1956年12月5日に出現したほうおう座流星群の母彗星の可能性があることを指摘していた(BAA Circ. No.382).セチ研究所のジェニスケンス(P.
Jenniskens, NASA)も,彼の調査の結果,両天体の1819年と2003年の出現軌道は,ほとんど同じものとなり,この同定は成立することを指摘した(IAUC
8485).
2003 UT
α (2000) δ Mag.
Nov. 22.15395 00h 08m 44s.64 -16゚ 03' 51".2 18.1
OAA計算課では,1819年出現時の軌道から,その観測期間である1819年12月14日から1820年1月15日までの観測を作成し,2003
WY25の観測(2003年10月25日〜2004年3月20日,296個)との連結を行なった.次の連結軌道は,これらの292個の観測から計算したもの.加重平均残差は0".70(http://www.oaa.gr.jp/~oaacs/nk/nk1168.htm).この軌道によると,彗星は,1819年から2003年までに35公転していたことになる.なお,彗星は,今は,その遠日点近くにいて観測できない.次回の近日点通過は,2009年4月30日となる.
Epoch = 1819 Nov.
22.0
2003 Dec. 27.0 TT
T =
1819 Nov. 20.2384
2003 Dec. 11.57756 TT
ω = 349o.7349
9o.06944
Ω =
79.9554
69.38274
(2000.0)
i
= 9.2285
5.92918
q
= 0.890808
1.0000686 AU
e
= 0.702406
0.6755818
a
= 2.993368 3.0826521
AU
n゚= 0.1903110
0.18210308
P
= 5.18
5.41 年
ブランペイン彗星は,1819年の発見時,地球に0.34 AUまで接近し,約6等級で見られた.しかし,その日々運動は,約28'と,あまり大きくはなかった.上の連結軌道からの1819年出現時の観測の残差は,赤経方向に,およそ,0o.15ある.その近日点通過にT= +0.4日〜-0.6日ほどの補正を加えると,残差は,ほぼ0"近くとなる.しかし,1819/20年の観測の残差を軌道改良で,これ以上,小さくする連結軌道は計算できなかった.この間,彗星は,木星まで,1852年11月に0.62
AU,1900年5月に0.60 AU,1912年10月に0.63 AU,1960年4月に0.64 AU,1995年7月に0.24 AUまで接近していた.また,地球には,1866年11月に0.080
AU,1919年12月に0.049 AU,2003年12月に0.025 AUまで接近した.
ほうおう座流星群 Phoenicids
in 1956
ほうおう座流星群が出現した1956年時の軌道は,次のとおりとなる.
T = 1956 Oct. 25.47353 TT Epoch
= 1956 Oct. 14.0 TT
ω =
0o.13367
e = 0.6767146
Ω =
74.37345
(2000.0) a = 3.0669992 AU
i = 9.59610
n゚= 0.18349895
q = 0.9915160 AU
P = 5.37 年
-
continued -
2
YAMAMOTO CIRCULAR
No.2460
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本会会長,長谷川一郎氏(I.
Hasegawa, Kobe)によると「南極観測船宗谷で夜光観測をしていた中村純二氏は,1956年12月5日13時44分UTから流星が飛ぶのを認め,16時30分頃(12月5.6875 UT)にその極大となり,1時間あたり数100個の流星が出現した.しかし,18時頃にはかなり減ってしまった」という記事が,天文月報1957年7月号にあること,さらに,上の軌道から,同流星群の輻射点をα= 3o.1,δ= -41o.6 (2000),VG= 10.4-km/sec.と計算されることが報告された.しかし,氏によると,この値は,ほうおう座流星群の実際に観測された輻射点α= 356o,δ= -42o.5 (2000)に少し合わないという.
そこで,古在理論(Proc.
Japan Academy, 78B, 84-60 (2002),cf. YC 2386, YC 2429)を使用して,このとき観測された流星が,1819年の同彗星の回帰時に放出されたものとして,次の放出軌道を計算した.ただし,彗星の周期が短いために,1819年の近日点以外から放出された粒子が,1956年の出現になった可能性の方が極めて大きいと思われる.従って,これは単なる1例にしか過ぎない.
Object T /TT q e P ω Ω i a
Epoch
1819
W1 1819 11 20.238 0.89081 0.70241
5.18 349.735 79.955 9.228 2.99337
1819 11 22
Particle
1819 11 20.239 0.89081 0.70259 5.18
349.735 79.955 9.228 2.99521
1819 11 22
+.0004 +.000000 +.000183
+.0048 +.0004 0.0000 0.0000
+.001842
" 1956 12 06.034 0.98389 0.67893
5.36 0.454 74.126 9.652 3.06445
1956 11 23
上の軌道の中で,第1行目が1819 W1の出現軌道,2行目が古在理論で補正された粒子の軌道,3行目がその補正値,最後の軌道が粒子の1956年当時の軌道となる.これによると,1819年の近日点で
+2.213-m/sec.で放出された粒子が,1956年12月5.672日UTに地球軌道の内側で地球に0.00138
AUまで接近したことなる.さらに,この粒子は,過去に1856年,1861年,1951年に同程度まで,地球に接近している.もし,これらの年のいずれかに出現の記録があれば,この粒子が流星群を起こしたことになるが,多くの可能性があり,これは低いだろう.この粒子は,木星に1960年3月10日に0.395
AU,1995年10月1日に0.368 AUまで接近し,軌道が大きく変わったため,このトレルからの流星の出現は1956年が最後になったものと考えられる.また,各回帰年に放出されて粒子の中で,この粒子と似たような軌道になった粒子も,同じような影響を受けたのだろう.
長谷川氏(Hasegawa)は,さらに,上記の4番目の軌道から,1956年のほうおう座流星群の輻射点の位置を決定した.しかし,同流星群の輻射点は,α= 3o.5,δ= -41o.5 (2000),となり,観測された輻射点とは,位置にして5o.6ほど違うことを指摘している.また,観測された輻射点から,流星群の軌道の離心率を0.6789と仮定すると,q=
0.9848 AU,ω= 357o.04,Ω= 74o.13,i= 9o.11の軌道が得られるという.
超新星 2005ad
in NGC 941
2月6日深夜に,りょうけん座にある系外銀河 NGC 4617 に超新星 2005ab を発見した山形市の板垣公一氏(Koichi
Itagaki, Yamagata)は,その約18時間後の同日夕刻,くじら座に,また,別の超新星 2005ad を発見した.発見場所は,同じく,冬場の悪天候を避けるために,新たに建設した栃木県高根沢町の新観測所で,30-cm
f/7.8 反射望遠鏡+CCDカメラを使用しての発見となる.この超新星の発見光度は17.4等.氏は,翌日,山形にある観測所で,自ら,この超新星の出現を確認した.そのとき,超新星は16.6等に増光していたという.板垣氏の超新星発見は,これで14個目となり,八ヶ岳の串田麗樹さん(R.
Kushida)のもつ,我が国での超新星,最多発見数に並んだ.なお,この超新星は,板垣氏が保有する2001年以後の捜索フレーム上には,その姿が見られなかった.氏は,今年1月8日にも,同銀河をサーベイしていた.しかし,このとき,超新星は,まだ,出現していなかった(OAA計算課,新天体発見情報76, IAUC 8479).
はくちょう座新星 Nova
in Cygnus 2005
掛川市の西村栄男氏(Hideo
Nishimura, Kakegawa)は,2005年2月11日早朝,午前5時半JST頃,ペンタックス 200-mm f/4.0 レンズ+T-Maxフィルムで,はくちょう座を撮影した2枚の捜索フィルム上に
9.7等の新星を発見した.この新星は,同氏が行なっている2001年10月以後に撮影された捜索フィルム上には,その姿が見られなかった.また,発見5日前の今年2月6日朝に,同氏が撮影した捜索フィルム上には,まだ,出現していなかった.この新星は,発見翌日2月12日明け方に,上尾市の門田健一氏(K.
Kadota, Ageo)と静岡県雄踏町の和久田俊一氏(S.
Wakuda, Yuto)によって,それぞれ,8.9等と9.3等で観測された.両氏の観測では,新星は,わずかに増光しているようにも思われる.また,門田氏からは,新星の出現位置は,α = 20h 09m 19s.09, δ = +39o 48' 52".2と報告された.USNO星表には,発見位置に,該当する星はないとのこと.この新星は,同日,西はりま天文台でスペクトル確認された.なお,西村氏は,1994年に新彗星(中村・西村・マックホルツ彗星),2003年8月には,たて座に出現した新星,2004年3月には,いて座に出現した新星を発見している(OAA計算課,新天体発見情報77, IAUC 8483, IAUC 8484).
2005 February 16
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Syuichi Nakano
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